岡山ブラジャー祭り
世界には奇祭と呼ばれる行事がいくつもある。
例えばトマトをぶつけ合うことで有名なスペインの『トマティーナ』や、チーズを転がして追いかけるイングランドの『チーズ転がし祭り』。他にも派手な仮装をしたり、やたら炎を燃やしたり、よくわからない御神体を祀ったりするものは少なくない。
そこには歴史や文化があり、一見珍妙に見える祭りもそこに込められた願いや成り立ちは至極真面目なものばかりだ。
だから大切にして欲しい、視野を広く持って欲しい、想像力をはたらかせて欲しい、そう、私のように。
ブラジャーコールアンドレスポンス
その日は出張先である岡山県のホテルで朝を迎えた。取引先の部長に付き合い朝まで飲まされたので、せっかくの休日も移動日となってしまった。
レイトチェックアウトのプランにしたことを思い出し、少しゆっくりするかとカーテンを開けてベッドに腰を掛ける、今日もいい天気だ。
コーヒーでも飲もうかと思ったその時、奇妙な声が聞こえてきた。
「ブラジャーッ!! ブラジャーッ!!」
……昨夜の酒が残っているらしい、ずいぶんと飲んでしまったからな、まったくどうかしている。
「ブラジャーッ!! ブラジャーッ!!」
……どうやら幻聴ではないようだ、成人男性が威勢良く叫ぶ声が響いている。だがあまりにはっきりと聞こえるがゆえに説明がつかない、何だこれは、女性用下着の普通名詞をこれほど景気よく連呼する人物は野原しんのすけ氏以外に知らない。
おかしいのはこの世界か、それとも私の頭なのかを確かめようと窓から外に視線を落とすと、音の出どころはあっさりと見つかった。そこにあったのは、神輿のようなものに乗った男がマイク片手にブラジャーと連呼している姿、いったい何が彼をそこまで追い詰めたのか。
ああそうか、季節は8月の熱いさなか、そういうおじさんが出てくることもあるか。
そう思い全てを解決してしまおうと考えた私だが、おじさんの周囲でとり憑かれたように群舞する集団が目に入る。さすがにブラジャー丸出しの姿ではないものの、彼らも踊りながらおじさんに合わせて「ブラジャッ!!」と叫ぶブラジャーコールアンドレスポンス状態、何だこれは、新しい宗教だろうか。
一瞬にしてブラジャーを御神体として崇拝するブラジャー教の人々の図が頭の中で完成する。
教団の人々は当然男性も含め全員がブラジャー着用だ。そしてそれぞれのフォルムや刺繍が美しいなどと愛でたりするのだろう、もしかしたら快適性やファッション性を求めて新モデルの開発なんかもしてしまうかもしれない。
いや、それはむしろ下着メーカーの仕事では無いだろうか。
まてよ、大手下着メーカーの営業は男性社員でもカバンの中にブラジャーを携行しているという話も聞いたことがある、ある意味ブラジャー教と言っても良いのではないだろうか。
いやいや、メーカー営業のそれは布教ではなく仕事だ、嫌いではないかもしれないが崇拝しているかと言われると違うだろう。
でも長年共に時間を過ごしていると愛着が湧いても不思議ではない。今までなんとも思っていなかったはずのアイツが気になって仕方がない、アタイやっと自分の気持ちに気付いたんじゃいという少女漫画的なアレがおっぱじまるかもしれないし、思い切って告白しちゃえと自分の中の天使が言えば、フラれる危険があるぜと悪魔が囁くかもしれない。揺れ動く乙女心だ、相手はブラジャーだけど。
そして天使のブラがあるなら悪魔のブラもあって良いかもしれない、何か尖ったデザインで悪の女幹部とかが着用してるヤツみたいな……何を言っているんだ私は。
もはや思考回路はショート寸前、完全にブラジャーに支配され、おそらく人生で最もブラジャーについて考えているオッサンが岡山のビジネスホテルで爆誕していた。変態である。
大きな桃がどんぶらこ
食い入るように見つめていると、道路沿いにものぼりや装飾があしらわれており、通行人も楽しそうに踊りを見物していることに気が付いた。
この感じ、これはひょっとして祭りではないだろうか。
きっとそうだ、いくら信仰の自由があるとはいえ、ブラジャーと連呼しながら練り歩く集団がいれば普通は周囲も眉をひそめるだろうし、公道で派手に活動すれば警察がとんできそうなもの。それが無く街全体がイベントムードということはこれは祭りに違いない、県民に愛される祭事なのだろう。
すごいな岡山県は、いろいろ先を行き過ぎではないだろうか。
しかしなぜこの岡山の地でブラジャーがと考えた私だが、すぐにピンと来た。
そうか、『ピーチ・ジョン』だ。
男性諸君は馴染みが無いかもしれないが、ピーチ・ジョンとは日本の女性向け下着通信販売会社である。その社名の由来は日本の桃太郎、ピーチ(桃)とポピュラーな男子の名前であるジョン(太郎)を組み合わせたものだと聞いたことがある。そしてここは桃太郎ゆかりの地として知られる岡山県、つまりこういうことだ。
点と点が線として繋がった、私が少年探偵ならば事件解決だとキメ台詞の一つくらい放ってもおかしくない。
なお、なぜオッサンである私が女性向け下着通信販売会社の由来まで知っていたかという点に関してだが、決して女性用下着に強い関心を持っているわけではなく、日本経済を考えるうえで成長企業の情報を把握することは当然のたしなみであるからだ。
よこしまな気持ちなどあるわけが無いし、以前ピーチ・ジョンについてスマホで画像検索していたら、隣に座っていたOLが小走りに別の席に移ったのも単なる偶然に違いない。
チェックアウトの手続きをしながらフロントの女性スタッフに聞いてみると、今日明日の二日にわたり大きな祭りが開催されるということを教えてくれた。
今日から二日ということはこの群舞もプログラムの序盤なのだ、ということは夜になれば祭りも真の姿をみせてくれるのだろうか。
午前0時のラブライブ
遠く見える月、松明に照らされたやぐら、このメインイベントを毎年楽しみにしているオーディエンスの熱狂は深夜を迎えても落ち着くどころか勢いを増すばかり。
太鼓の音がどんと響くと、数名の男女がやぐらの前に歩み出る、昼間とは違いいずれも上半身はブラジャーのみを着用したクラシックスタイル。彼らは選ばれしミス&ミスターブラジャー、これが本来の姿であり、本当の祭りの始まりだ。
「いいぞ、フロントホックのアケミ!!」
「おっ、ダブルストラップ健は今年も仕上げてきたな」
「スポーティ増田はやはりスポブラで参戦か」
オーディエンスは新たなブラが登場する度にざわめき、憧れにも似た気持ちで見守る。やぐら上で仁王立ちするブラジャーマスターの掛け声に合わせ、思い思いのポーズを決めながら練り歩く。ここは岡山ブラジャー祭り、下着への感謝を神に伝える神聖な儀式だ。
うん、推測の域を出てはいないが、祭りの全容がみえた気がした。
帰りの電車まではまだ時間がある、もっと間近で祭りを体感するべく私は外に出た。
「ブラジャーッ!! ブラジャーッ!!」
いささかの衰えもみせずに繰り返されるブラジャーコールアンドレスポンス、いざ目の当たりにするとかなりの迫力だ。ここまでくると私も女性用下着が神聖なものに思えてくるから不思議だ、一つくらい購入して神棚に飾ってみようか。
近所のアモスタイルに単騎突入したらどうだろう、「お、贈り物ですか……?」と引き気味に言う店員に向かって「いえ、自分用です!!」と男らしく言ってみようか。
いやダメだ、自分のような若輩者にはまだハードルが高い、ちょっと試着いいですかとでも言おうものなら店員も困惑するばかりであろう、他人に迷惑をかけてはいけない。
ブラックジョークは言わないで
そうだ、いくら祭りとはいえ下着はなかなかセンシティブなジャンル、思春期の女の子などはそう簡単に受け入れられるとは思えない。明日はパパが神輿に乗ってブラジャーコールしちゃうぞなどと言われれば、「しんじゃえ変態オヤジ」くらい言って家出してもおかしくないだろう。
待ってくれミカ、これは決していやらしい気持ちではない、伝統と感謝の行事なんだと説明してもミカは聞く耳を持たない、マッチングアプリとかそういうのを使って悪い仲間と一緒にビッグスクーターで夜の街を暴走、こんなものがあるからいけないんだと片っ端からランジェリーショップを襲撃してしまうかもしれない。
憎きブラジャーに金属バットを振り下ろさんとするミカ。
その時、闇に紛れて接近した腕がミカのバットを止めた。
「やれやれ間に合ったね、あんたアタシの若い頃にそっくりだ」
フロントホックのアケミだ。
「下着とは憎むものでも破壊するものでもない、我々をやさしく包み、守ってくれるものなんだ」
柱の陰から現れたダブルストラップ健もそれに続く。
なんだこいつら、邪魔するヤツらはやっちまえとマッチングアプリとかで集った悪い仲間が襲いかかるが、割って入ったスポーティ増田が蹴散らして言う。
「動きが悪いな、自分に合った下着を着用しないからだ」
半裸の男女が泣き崩れるミカにやさしく手を差し伸べる、構図的にはけっこうアレだが、犯罪を、そして非行を未然に防いだヒーロー達はこう言った。
「はじめは戸惑うかもしれない、しかし自分の成長に合った下着を着用するのは大切なことだ、君のすこやかな成長を願うお父さんの気持ちをわかってほしい」
下着界のアベンジャーズに諭された彼女にもう迷いはない、祭りの当日、そこには父のブラジャーコールに元気よく応えるミカの姿が。
実に感動的だ、そしてこの祭りに込められた願いや意義ようなものまで見えてきた。
肩を貸してよブラザー
一時のこととはいえ、懸命に踊る人々を暑さで脳にバイ菌が入ってしまった集団だと思ってしまった自分を恥じた。私は何を考えていたんだろう、彼らの曇りなき眼と渾身の踊りのどこによこしまな要素があるというのだ、いやらしい視線でみていたのは私の方だったのだ。
子供のように素直に楽しめばいい、余計なものは何もいらない、生まれたままの心と体で、body & soulで太陽を浴びればいいじゃないか。
みんな半裸で踊ろうじゃないか、ビバ下着!! 有名なリオのサンバカーニバルだって露出的にはもっと過激だし問題は無い。さぁ、レッツブラジャー!!
着ていたシャツを脱ぎ捨てようとしたまさにその時、目に入ってきた横断幕には衝撃的な文字が躍っていた。
……うらじゃ?
え、何これ、ブラジャーじゃなくて? うらじゃってなに?
うらじゃとは、岡山県岡山市にて行われている夏祭り、および同祭で行われる音頭、それに使用される楽曲である。岡山県に古くから伝わる鬼神「温羅(うら)」の伝説を元にしたものであり、名称もそれに由来する。(Wikipedia『うらじゃ』より)
ウィキペディアを表示したスマホを持つ手が震える、こんな悲劇があっていいのだろうか。
うらじゃをブラジャーと勘違いしていたとは、それだけにとどまらず一人で納得したり関心したり恥じたりしてしまったとは。もはや先ほど勘違いで勝手に恥じた自分も恥ずかしい、これが本当の恥の上塗りだ、やかましいわ。
私は哀しきひとり上手だった。
やさしさとオブラートに包まれたなら
しばらくぼうっと踊りを眺めていた。
なんだろう、この気持ちは。その躍動感、生命力あふれる表情、人間とはこんなに美しいものだったのか。落ち込んでいた私だが、いつしか目の前で繰り広げられるうらじゃに魅了されていた。
そうだ、今まで知らなかったのならこれから知ればいい、人は学び、成長できるのだ。 少しボタンの掛け違いをしただけだ、純粋な気持ちで楽しみたいと思った気持ちは嘘じゃない、そこにブラジャーがあるか無いか、そんなことは些末な問題だ。
思えば岡山は素晴らしいところではないか、倉敷美観地区や鶴山公園の素晴らしい景観、瀬戸内に育まれた海の幸に色とりどりのフルーツ、そして出会う人々もみな良い人ばかりでやたらお土産をくれる。
昨日なんてキャバクラの呼び込みをしていたお兄ちゃんまで桃太郎のボールペンをくれた、グリップ部に取り付けられた桃太郎の装飾が邪魔でとんでもなく書きづらいけど、とにかく良くしてくれた。
私はノーブラで駆け出し、祭りの輪に加わった。
いや、男だからもともとノーブラだけど。
……うん、胸のつかえがとれたみたいな意味の比喩でノーブラって使ったけれど完全に失敗した。でもきっと大丈夫、岡山の人達はみんないい人ばかりだから許してくれるさ。
そんな岡山県民熱狂イベント「うらじゃ」は今年も8月に開催予定!!
ここまで読んで関心を持っていただいたみなさんも、これを機に是非一度岡山をおとずれてみてはいかがだろうか 。
よかれと思ってうらじゃ公式サイトのリンクを貼ってみたが、よく考えたらこんな内容ブログからのリンクではむしろ怒られるのではないかとまことに心配である。
でもきっと大丈夫、岡山の人達はみんないい人ばかりだから、いい人ばかりだから。
岡山ブラジャー祭り 終