おかいさんといっしょ

おかいさんが極めて個人的なことを吐き出すからいっしょういっしょにいてくれやみたいなブログ

マニアックという服を着て

f:id:shoppingowl:20200715191858p:plain

 

世の中には大多数には理解されない趣味を持つ人がいる。もっとも他人に迷惑をかけなければ趣味など好きにすればいいし、スポーツが趣味だと陽キャでアニメが趣味だと陰キャみたいな風潮もまぁ勝手にやってくれればいい。それらはただのイメージだし、他人に良く思われたいからやる、あるいはやめるというのも動機の一つだ。

 

そもそも趣味嗜好のイメージは流動的なものなので“特定の事象に詳しい人”のことをオタクと言うこともあれば専門家、スペシャリストと表現したりもする。物理学に詳しくて長年研究している人も、化粧品の上手な使い方を熟知している人も、ゲームに出てくるセリフを全部暗記している人も、総じてオタクだしスペシャリストである。

 

今ではSNSを通じて少数派である人でも同好の士を見つけやすい世の中なので、マイノリティであることに肩身の狭い思いをしたりすることは少なくなっている。「家電製品を巨大ハンマーで壊す会」「レンガを食べる会」「近所の川の流れを見つめる会」という一般的には冗談みたいなコミュニティも実在する。

 

それぞれの趣味はおおいに楽しんで欲しいのだが、少数派の人を眺めてきて最近思うこともある。そこで今回はマニアックな趣味が持つ危険性について綴っていきたい。マニア趣味の危険性と言っても女性用下着を着用して大通りを練り歩くオッサンは逮捕されるとかそういう話ではないが。

 

 

■マニア志向の暗黒面

ここからは例を出して話を進めたい。例えば少数派の趣味として、グルメ情報サイトにはほとんど掲載されない、街はずれのさびれた食堂の雰囲気が好きでブログにレポートする人がいるとしよう。世間的なニーズは大手チェーン店や隠れたこだわりの名店にあるが、彼の趣味はそことは異なっているというわけである。

(※念のため断わっておくがこの趣味に特定のモデルはいないし、さびれた食堂の雰囲気は私自身大好きです)

 

気になる店はどんなところでも行きたいという行動力がある人はいるだろうし、そうした同士を見つけて交流が生まれるかもしれない。そこで食事をしたいかどうかはさておき、どんな店なのか、どういう料理が出てくるのかという観客としての興味を持つ人も多いと思う。

 

そうして彼の趣味はちょっと名の知れた存在になったとする。するともっと知られたい評価されたいという気持ちが生まれる、功名心や承認欲求と言った類の気持ちが湧いてくるのだ。

 

もちろんこうした感情は誰もが持っており、全く悪いことではない。周囲の期待に応えるために新しいお店のレポートをしようという原動力になれば、自身も応援者にも良い影響があったと言えるだろう。

 

しかしこの一見順風満帆に見える彼の趣味、実は危険な状態にあると考えるられる。評価の味を覚えると、他人と異なることをすることが褒められる立派な行動なんだと錯覚してしまいがちになる。自分を肯定する者の出現は、同時に自分の判断基準を狂わせる原因の出現を意味するのだ。

 

自分の周囲を肯定者に囲まれた場合、人は変わる。これは会社役員や開業医、ネット配信アイドルなんかでも同じ現象が起こる、誰も自分を否定しない、なにをやってもチヤホヤされるという状況に置かれると人はおかしくなる。

私が一緒に仕事をしていた開業間もない内科医もメーカーにチヤホヤされまくった結果2年で漫画みたいな悪徳医師になった。スターウォーズも真っ青のダークサイドだ。

 

 

■弱さを攻撃に変える病

さびれた食堂レビューが彼にとっての正しい行動になった時、よせばいいのにこうした発信を始める。

 

「さびれた食堂には大手チェーンには無い味があるんだよなぁ」

「みんなが行く有名店なんかより、俺はこだわりの店にいきたい」

「本当の良さを知ってるのは自分なんだ」

 

わかりやすく誇張して書いているが、これらを目にした時に不快に思う人もいるだろう。マイノリティという一種の弱さを攻撃に変えた彼が繰り返す、肯定されたいがための独り言は次第に彼自身の行動を歪ませていく。発信が容易になったことで、少数派を自称する人はこの状態に陥りやすくなったと思う。

 

そして一度この状態になるとなかなか変えられない、なんせ自分は正しくて応援されているのだ。こうなると同調しない意見があった場合にも対応がズレてくることが多い。

 

「いや、普通に大手チェーンがいいだろ」

「こだわりも結構だけど、ちょっと理解できないね」

「人気店を否定するような言い方はいかがなものでしょう」

 

こうした意見をぶつけられた場合、「そういう意見もあるんですね」などと受け流そうとしながらも、自分の行動が間違っていたと自省する人は多くない。

表面上はどうあれ、心のどこかでマニアックだから認められないんだという思いが膨らみ、自分が少数派だから多数派に虐げられていると考えてしまうことが多いように見受けられる。そもそも攻撃しなければ反論されることも無いのだが。

 

別にマイノリティを恥じたり隠したりする必要は無い。それ自体を武器にして振り回すから咎められるのである。

 

 

■異端であるという呪縛

自分が変わった趣味を持っているという人は少なくない、そして迷惑をかけなければどんな趣味でもいい。そうした趣味を突き詰めることで第一人者として世間に評価されるような人もいるし、実際にそれを目指して活動をする人も多いだろう。

 

でも時には冷静になって本当にその趣味が好きなのか、その趣味を好きな自分が好きなのかということを考えてみてもいいと思う。「他人に流されずにマニアックな趣味に突き進むかっこいい自分」に酔っていないだろうか。自己肯定感の上げ方を間違った結果、見えない誰かと争うことに躍起になってはいないだろうか。

 

俺はこんなに変わった趣味をもってるんだぜ! 不遇な扱いを受ける異端な存在だぜ!

 

異端な趣味に世間はいちいち迫害などしない、純粋に興味が無くどうでもいいからだ。錯覚が積み重なった結果誕生してしまうズレまくったモンスター、彼らは今日もお気に入りのマニアックという服を着て舞台に上がるのである。

 

 

 

マニアックという服を着て     終