おかいさんといっしょ

おかいさんが極めて個人的なことを吐き出すからいっしょういっしょにいてくれやみたいなブログ

ストーリーテラーを加えると不穏になる

近年のテレビではホラー番組が少なくなったと言われている。たしかにひと昔前の夏休み時期には定番だったバラエティ番組の心霊写真特集なんかもすっかり見かけなくなった。

 

その理由としてジャンルとしての流行りすたりもあるが、それ以上に撮影品質や加工技術が向上した結果、半端な映像表現が通用しなくなったという面が大きいらしい。たしかに今どき「写真に不気味な影が!!」などと画像をみせられても、こんなもんスマホでも5分で作れると言われて終わりである。

 

 

ホラーに必要なもの

日本のホラー表現は終わってしまったのか。いや、そうではない。ホラーというジャンルを形成する要素は他にもあるのだ。そのひとつが雰囲気、これから何か嫌なことが起こりそうという雰囲気を演出することも盛り上がる大切な要素だ。

 

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不穏。おだやかでないことや状況が不安定であることを表す言葉だが、映画なんかでも「不穏な空気を感じるシーン」などと使われることが多い。特にホラーというジャンルではこの“不穏な空気”を出すことで、この後何かが起こるのではないかと期待が高まり、ムード満点な作品となるのだ。

 

そしてこれはあくまで雰囲気づくり、ここでショッキングなゴア表現やグロテスクなモンスターを出す必要はない。あくまで「この後何かが起こりそう」「平和な世界が終わりそう」「イチャつくカップルが意味も無く殺されたりしそう」と思わせさえすれば良いのだ。

 

 

では不穏な空気は具体的にどうやって出せばいいのか。実は答えはもうわかっている、それはストーリーテラーを出すことである。これさえやっておけばどんな幸せ空間もまたたく間に不穏な感じに早変わりである。

 

え? どういうことかわからない?

 

あれこれ説明するより見ていただいた方が早いと思うので、実際にストーリーテラーに登場いただこう。

 

 

不穏

 

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これは幸せそうなシーンですね、南国の綺麗な海を前に将来を誓い合う二人といったところでしょうか。ここから始まる物語にたとえ苦難があったとしても、最終的にはそれらを乗り越えてハッピーエンドですよ。

 

 

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!?

 

えっ、誰? サングラスのおじさんが入ってきた!

 

 

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「幸せに包まれ将来を誓い合う二人、そこにあるのはまぎれもなく本物の愛です。しかしはっきりとしたカタチを持たないその感情は、ほんの小さなきっかけで壊れてしまうものかもしれません」

 

なんか喋り出した!! これアレだ、あの奇妙なヤツだ!!

 

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あぁー、暗転しながらタイトルみたいなの入って来た。不穏だ、場面変わったら数年後の冷え切った二人の関係が映し出されるやつだ。そんで主人公がこんなはずじゃなかったのに、みたいに悩んで奇妙な世界に足を踏み入れちゃうやつだ。「シアワセ」とかカタカナ表記してるのがこざかしいけど、オチまでみるとちゃんと意味があったりするやつだ。絶対ハッピーエンドにたどり着かないやつじゃないですか、やだー。

 

 

不穏2

 

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あーそうだよ、こういうのでいいんだよ、桜並木なんて素敵じゃないか。やっぱり人間が入ってくるとどうしてもわずらわしい関係が発生しちゃうからね、こういった風景だけのシーンなら不穏な空気なんて感じませんよ。

 

 

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「毎年春に咲いては我々を楽しませてくれる桜、日本人は特に桜が好きだと言われています。しかしそんな当たり前がある日突然変わってしまったら、好きが嫌いに変わってしまった時、我々は一体どうなってしまうのでしょうか」

 

あっ待って、やっぱりなんか不穏、桜の花道で黒ずくめのおじさんが語るシーンってちょっと違和感もあるし。疑問を投げかけないで、日常が突然変化するぞみたいな導入を図るのやめて。

 

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あぁー、今度はホワイトアウトしてタイトル入ってくるヤツだ。ある日突然自分以外の人たちの好みが正反対になってて困惑するやつだよ。もう桜とかめちゃくちゃ嫌われてて北斗の拳みたいな世界でモヒカンが消毒だぁーとか言いながら木を燃やしまくるやつだ。終盤何かのきっかけで元の世界に戻ってくるんだけど、やっぱりみんな桜が好きなんですよねみたいなことを言ったら、好きなわけねぇだろみたいに怒鳴られてやっぱり戻ってないって気づいたところで終わるやつだ。やだー不穏ー。

 

 

不穏 -ザ・ファイナル-

 

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おっ、これはいらすとやの桃太郎じゃないですか。YouTube動画からスーパーの店頭まで幅広く利用されてる可愛らしいイラスト。さすがのストーリーテラーもこの2次元イラストの中に混ざるのは違和感が強いし、ともすればギャグみたいな絵面になるから不穏って感じにはならないと思うなぁ。

 

 

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!?

 

あれっ、横から入ってくるいつものやつじゃないの?

 

 

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「よく知られた桃太郎のお話。近年では本当は恐ろしい、残酷な面があったなどと言われるおとぎ話ですが、そうした変遷も時代に合わせた必要な変化だったと言えるかもしれません。もしあなたが桃太郎だとしたら、この時代に合わせて変化できるでしょうか」

 

あぁ、劇中劇のやつだ。その世界をそのまま引き継ぐんじゃなく、あくまで外側から見守るパターンのやつだ、あったわーこういうの。こうなるともう画面内のかわいらしいキャラクターとの対比が逆に不穏だわー。ファンシーな世界から急に現実に戻された感あって怖い奴だわー。

 

 

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あー、再度画面に戻ってからお話が始まるやつだ。ミューテーションって変化とか変異を意味する言葉だけど、桃太郎要素タイトルに入ってないの逆に怖いわー、おとぎ話の理不尽な要素とかが現代劇の中に差し込まれてくるやつだわー。不穏だけど時代に合わせた変化ってのが何なのか気になってみちゃうやつだわー。

 

 

新・不穏 

もうアレだ、無機物だ、機械とかそういうやつならいいんじゃないか。一番恐ろしいのは人間とか言うし、自然災害や超常現象とも無縁の機械。オカルトと対極にある科学を前面に押し出せば不穏なんて──

 

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あぁー、まぁまぁ不穏かー。身近な無機物製品のスマホだけど、便利がゆえに問題がある部分とかついてきそうだもんなー。身に覚えのないアプリとかが入っててうっかりタップしたらとかも王道だし、スマホを使っていると思ったら使われているのはあなたかもしれませんとか言いそう、利便性の戒め的なこと言いそう。

 

 

もう最初から可愛い感じなら不穏を打ち消すんじゃないかな。普遍的な人気がある猫の画像とかならみんな大好きだし、不穏とかも打ち消す可能性は高い。可愛いは正義──

 

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うーん、まだちょっと不穏かー。 なんでだろう、ストーリーテラーが同じ画面内に収まってるだけで猫も若干不機嫌に見えてくる。一見愛らしい見た目とは裏腹にみたいなことも言いそう、この猫を比喩表現として何かの内面をとらえてきそう、怖い、ストーリーテラーほんと怖い。

 

 

 

もう誰もストーリーテラーにはかなわないのか、その圧倒的存在感は全てをのみこんでしまう。 たとえゴキゲンな音楽フェスとかやっても無理かもしれない。いや待てよ、音楽……?

 

 

 

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あぁー!! これだ!! 落ち着いたベテラン司会者の風格。 そんでちょっとした笑いも交えたトークをしてくれそう。

 

……いやでもこれちょっと反則というか、マイク持たせてステーション感出すのはレギュレーション違反では? 出演者がt.A.○.u.の可能性とか考えたら不穏な感じが無いわけでもないし。

 

 

劇場版 不穏 ディレクターズカットファイナルエディション

少々脱線したが、改めてホラー作品に必要な要素について考えていく。雰囲気も大切だが話の結末、いわゆるオチの部分も重要である。

古くからあるパターンのひとつに、視聴者自身も奇妙な世界に取り込まれてしまうというものがある。定番ともいえる結末だが、考えてみれば傍観者だった自分がいつの間にか当事者になっているという怖さは相当なものだろう。もっとも実際にテレビ画面に吸い込まれるなんて表現は既に古典の域にあり、どうやって“当事者”とするかは皆一様に頭をひねる。

もちろん先のストーリーテラーが結末までを案内してくれる場合もある。それはたとえばこんなふうに……

 

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「これまで様々なストーリーテラーの姿をご覧いただきましたが、そろそろあなたにも奇妙な世界の一員となっていただきましょう。いえ、なにも難しいことはありません、これまでのように画面をみながらスクロールしていただくだけで結構です。では、どうぞ」



 

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奇妙な世界を覗いている時、あなたは既にそこの住人となっているのかもしれません。

 

 

 

マニアックという服を着て

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世の中には大多数には理解されない趣味を持つ人がいる。もっとも他人に迷惑をかけなければ趣味など好きにすればいいし、スポーツが趣味だと陽キャでアニメが趣味だと陰キャみたいな風潮もまぁ勝手にやってくれればいい。それらはただのイメージだし、他人に良く思われたいからやる、あるいはやめるというのも動機の一つだ。

 

そもそも趣味嗜好のイメージは流動的なものなので“特定の事象に詳しい人”のことをオタクと言うこともあれば専門家、スペシャリストと表現したりもする。物理学に詳しくて長年研究している人も、化粧品の上手な使い方を熟知している人も、ゲームに出てくるセリフを全部暗記している人も、総じてオタクだしスペシャリストである。

 

今ではSNSを通じて少数派である人でも同好の士を見つけやすい世の中なので、マイノリティであることに肩身の狭い思いをしたりすることは少なくなっている。「家電製品を巨大ハンマーで壊す会」「レンガを食べる会」「近所の川の流れを見つめる会」という一般的には冗談みたいなコミュニティも実在する。

 

それぞれの趣味はおおいに楽しんで欲しいのだが、少数派の人を眺めてきて最近思うこともある。そこで今回はマニアックな趣味が持つ危険性について綴っていきたい。マニア趣味の危険性と言っても女性用下着を着用して大通りを練り歩くオッサンは逮捕されるとかそういう話ではないが。

 

 

■マニア志向の暗黒面

ここからは例を出して話を進めたい。例えば少数派の趣味として、グルメ情報サイトにはほとんど掲載されない、街はずれのさびれた食堂の雰囲気が好きでブログにレポートする人がいるとしよう。世間的なニーズは大手チェーン店や隠れたこだわりの名店にあるが、彼の趣味はそことは異なっているというわけである。

(※念のため断わっておくがこの趣味に特定のモデルはいないし、さびれた食堂の雰囲気は私自身大好きです)

 

気になる店はどんなところでも行きたいという行動力がある人はいるだろうし、そうした同士を見つけて交流が生まれるかもしれない。そこで食事をしたいかどうかはさておき、どんな店なのか、どういう料理が出てくるのかという観客としての興味を持つ人も多いと思う。

 

そうして彼の趣味はちょっと名の知れた存在になったとする。するともっと知られたい評価されたいという気持ちが生まれる、功名心や承認欲求と言った類の気持ちが湧いてくるのだ。

 

もちろんこうした感情は誰もが持っており、全く悪いことではない。周囲の期待に応えるために新しいお店のレポートをしようという原動力になれば、自身も応援者にも良い影響があったと言えるだろう。

 

しかしこの一見順風満帆に見える彼の趣味、実は危険な状態にあると考えるられる。評価の味を覚えると、他人と異なることをすることが褒められる立派な行動なんだと錯覚してしまいがちになる。自分を肯定する者の出現は、同時に自分の判断基準を狂わせる原因の出現を意味するのだ。

 

自分の周囲を肯定者に囲まれた場合、人は変わる。これは会社役員や開業医、ネット配信アイドルなんかでも同じ現象が起こる、誰も自分を否定しない、なにをやってもチヤホヤされるという状況に置かれると人はおかしくなる。

私が一緒に仕事をしていた開業間もない内科医もメーカーにチヤホヤされまくった結果2年で漫画みたいな悪徳医師になった。スターウォーズも真っ青のダークサイドだ。

 

 

■弱さを攻撃に変える病

さびれた食堂レビューが彼にとっての正しい行動になった時、よせばいいのにこうした発信を始める。

 

「さびれた食堂には大手チェーンには無い味があるんだよなぁ」

「みんなが行く有名店なんかより、俺はこだわりの店にいきたい」

「本当の良さを知ってるのは自分なんだ」

 

わかりやすく誇張して書いているが、これらを目にした時に不快に思う人もいるだろう。マイノリティという一種の弱さを攻撃に変えた彼が繰り返す、肯定されたいがための独り言は次第に彼自身の行動を歪ませていく。発信が容易になったことで、少数派を自称する人はこの状態に陥りやすくなったと思う。

 

そして一度この状態になるとなかなか変えられない、なんせ自分は正しくて応援されているのだ。こうなると同調しない意見があった場合にも対応がズレてくることが多い。

 

「いや、普通に大手チェーンがいいだろ」

「こだわりも結構だけど、ちょっと理解できないね」

「人気店を否定するような言い方はいかがなものでしょう」

 

こうした意見をぶつけられた場合、「そういう意見もあるんですね」などと受け流そうとしながらも、自分の行動が間違っていたと自省する人は多くない。

表面上はどうあれ、心のどこかでマニアックだから認められないんだという思いが膨らみ、自分が少数派だから多数派に虐げられていると考えてしまうことが多いように見受けられる。そもそも攻撃しなければ反論されることも無いのだが。

 

別にマイノリティを恥じたり隠したりする必要は無い。それ自体を武器にして振り回すから咎められるのである。

 

 

■異端であるという呪縛

自分が変わった趣味を持っているという人は少なくない、そして迷惑をかけなければどんな趣味でもいい。そうした趣味を突き詰めることで第一人者として世間に評価されるような人もいるし、実際にそれを目指して活動をする人も多いだろう。

 

でも時には冷静になって本当にその趣味が好きなのか、その趣味を好きな自分が好きなのかということを考えてみてもいいと思う。「他人に流されずにマニアックな趣味に突き進むかっこいい自分」に酔っていないだろうか。自己肯定感の上げ方を間違った結果、見えない誰かと争うことに躍起になってはいないだろうか。

 

俺はこんなに変わった趣味をもってるんだぜ! 不遇な扱いを受ける異端な存在だぜ!

 

異端な趣味に世間はいちいち迫害などしない、純粋に興味が無くどうでもいいからだ。錯覚が積み重なった結果誕生してしまうズレまくったモンスター、彼らは今日もお気に入りのマニアックという服を着て舞台に上がるのである。

 

 

 

マニアックという服を着て     終

雑な友人が北海道の青い池に私を導く

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ここがどこなのかは正確にはわかっていない

「道央に行こうよ、車手配と運転は頼むね」

 

「サッカーしようぜ、お前ボールな」みたいな感じに友人から誘いを受けた。道央とは北海道中央部のことであり、今回は富良野・美瑛エリアあたりを指してそこに観光に行こうとの誘いだった。この友人は異様にアクティブなので度々どこかに行こうと誘われるのだが、毎回何も準備をしてこない人だ。今回も話を聞くと詳細なプランは何も決めておらず、レンタカーを借りたり運転する役目だけが私に決まっていた。これが雪山登山とかであれば遭難確実のため断固拒否するところだが、車で観光地を移動するだけらしいのである程度適当でも問題なかろうと話に乗ることにした。

インドア派な私は休日も一人部屋で過ごす日々が続いており、外出のきっかけとなるこうした友人の雑な誘いもありがたいものだった。ちなみに友人は運転免許を持っていないため、私のことを思ってというより交通手段としていいように使われていた可能性も無くはない。もしそうだとするとショックで泣いてしまうので考えないようにした。

 

 

富良野・美瑛というエリアは昔から北海道の主要観光地の一つとして知られ、幼少期に札幌在住だった私はラベンダー畑が見たいという両親に連れられ幾度となく訪れた地だ。

幼い頃の私は非常に乗り物酔いしやすかった。汚い話で恐縮だが、札幌から3時間ほどかけて向かう車中では毎回吐いていた、ラベンダーよりも紫色ではないかという顔色でのたうち回っていた。そうしてゲロまみれでたどり着いた富良野のラベンダー畑では、備え付けられたスピーカーからさだまさしの『北の国から』がエンドレスで流れており、朦朧とする意識の中でラベンダーの香りとさだまさしの歌に包まれるという幻想的なのかなんなのかよくわからない空間をさまよっていた記憶がある。ここがあの世ですよなどと言われたら、なるほどそうなのかと信じてしまいそうだった。

おかげで幼少期はラベンダーの香りが苦手だった、今はそれほどではないにしろリラックス効果があるという説には懐疑的だ。幸いにもさだまさし氏はそれほど苦手ではない、得意でもないけど。

 

そうした思い出もあり、正直に言えば富良野・美瑛というエリアに対してあまり良い印象は持っていなかった。そもそも子供にとっては雄大な景色を観賞することよりもドラゴンボールのアニメを観賞する方がよっぽど価値があるので、なぜこんな苦しい思いをしてまで富良野・美瑛の景色を見るんだ、家でテレビが見たい、お母さんはちょっとどうかしていると本気で思っていた。

 

しかし今回は行先だけを決めた誰に追われるでもない旅、自分探しなどと青臭いことを言う年齢でもないが、出発前日には久しぶりに訪れる地が楽しみになってきた。

 

 

当日待ち合わせ場所に車で行くと友人の姿はどこにもなかった、旅の始まりから自分探しどころか友人探しである。とは言えいつも待ち合わせに遅れてくるやつなので、特に気にせず先にカーナビをセットした。札幌から富良野経由で美瑛に向かうコースを設定すると、距離にして約180km、所要時間は3時間30分となっていた。高速道路も途中までしか無く、基本的に山道を走るためにこういう時間になるのだ。

そうこうしているとスマンと大きな声を発しながら友人が乗ってきた、一応謝ったとは言え助手席でドンと腕を組み特に悪びれるふうでもない、こいつは麦わらのルフィではないかと時々思う。

 

 

とりあえず友人が勧める美瑛の青い池を見に行くということで目的地が定まり、車を走らせる。基本的に山の中を進むルートではあるが、時折広がる国道沿いの風景には私が子供の頃の記憶よりも随分とお店が増えていた、その中でもソフトクリームがやたら目に付くことが多い。酪農が盛んな土地柄ということもあるだろうが、高速のサービスエリアや道の駅、道路脇に建っている掘っ立て小屋みたいなところもよく見ればソフトクリームと書いてあったりする。私が子供の頃にこうであればもっと楽しく道中を過ごせただろうに、くやしいのでそこらじゅうでソフトクリームを購入し舐めまくってやった。

 

 

甘さと冷たさをむさぼりながら目的地に到着した。到着と言っても国道沿いにいきなり池が広がっているわけではなく、観光用に案内板と売店がある駐車場が用意されているので、青い池を目指す人たちはまずここに車を止めて徒歩で移動することになる。

 

お腹もすいてきたので私はここの売店で食べ物を求めた。

 

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ご当地グルメであるジュンドッグ

旭川・美瑛地区のソウルフードらしいジュンドッグというものを買ってみた。旅先ではその土地の名物や他では食べられないものに出会うのも醍醐味、私も出張先などでは積極的に初体験となる食べ物を注文するようにしている。

ジュンドッグの中身はエビフライやソーセージを米でロールしたものであった。太巻きの海苔が無いものを想像してもらえればわかりやすいだろうか、そのネーミングはパッケージに記されている純平おじさんのホットドッグに由来しているものだろう。おじさんのホットドッグを美味しくいただいた、などと書くと別の意味を持ってしまう気もするが、具とお米の相性が良いので皆さんにも一度お試しいただきたい。

パッケージを開けたところを写真に撮れば良かったのだが、当時は誰かにジュンドッグの説明をすることになるとは考えていなかったため写真はこれしかなかった。

 

気付くと小雨が降ってきた。晴れた方が池は綺麗に見えるとのことだったがこればかりは仕方あるまい、ジュンドッグをもりもり食べた後に駐車場から青い池にもりもり進む。オフシーズンだったはずだが、団体で訪れる海外観光客なんかもおりなかなかの賑わいだ。森の中にある青い池を求めて歩みを進めるなんて幻想的なロケーションだが、実際は周りをとりかこむアジア系の観光客とおぼしきマダムがめちゃめちゃ大きな声で会話しているのであまり幻想という感じでもない、森の場外市場といった雰囲気だ。

 

砂利道を5分程度歩くと池を確認できるスポットにたどり着いた。

 

 

 

 

 

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青い、圧倒的に青い。

 

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森の中に突如出現する青い池。この青さはたしかに心動かされるものがある。

聞くところによると晴れた日だとより青さが強調されて綺麗に見えるらしいが、小雨のおかげで霧が出たこの情景もなかなか幻想的なものだ。さっきは場外市場とか言ってごめんなさい。

 

 

一体この青さはなんなのだろう、美瑛の森が生んだ奇跡のファンタスティックだろうか。そう思っていると付近にこの池について記した看板があった。未知との遭遇に少年の心を取り戻した私は目を皿にし、まるで古文書のように一文字づつ読み解いた。

 

 

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 結論から言うとこの青さは水中に含まれる微粒子が太陽光と衝突散乱した結果青く見えると言われているらしい。そもそもこの池自体が災害防止のためにコンクリートブロックを積み上げたら、そこに水が溜まり偶発的に池になったものだそうだ。
確かに古来より伝わる池とかならちゃんとした名前がありそうな気がするが、青い池という飾り気のない名前にはそういう理由があったようだ。なんだかまた幻想や神秘といった要素から離れてきた気がする。

「青い、青いぞぉ!! わぁい!!」

横にいた友人が無邪気にはしゃいでいた。ここに来るのは初めてではないにもかかわらず、まるで少年のようにまっすぐな瞳で人造池を眺めていた、30も過ぎた大人がどうしてそんなにテンションを上げられるんだ。

いや、ひょっとしたらこの友人が正解なのかもしれない。そうだ、素晴らしい景色が目の前にある、それで十分じゃないか。神秘的であれば素晴らしいとか、有名な画家が描けば良い絵だとかそういうことではない、目の前にあるこの景色は間違いなく良いものなのだ。澄んだ空気と豊富な自然、これこそが北海道旅行の醍醐味だ。


うん、来てよかった。そう思って車に戻ると、友人はまだいいところがあるから連れて行ってやると言い出した。いいところとは一体どこだろう、ひょっとしてえっちな店だろうか。連れていくと言っても運転するのは私なのだが、とりあえず指示に従って車を走らせた。

 

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白と青のコントラストが美しい 白ひげの滝

  
いいところにたどりついた、青い池から車で数分でたどり着ける白ひげの滝である。ここは橋の上から見ることになるので池ほど近くでは無いが、青い池と同様に綺麗な青の流れと白い滝とがまざりあう絶景スポットである。素晴らしい景色にはしゃぎまわる友人、麦わらのルフィと白ひげの邂逅だ、無理もない。

滝のすぐ近くには白金温泉があり宿泊施設も整っているので、宿泊込みで青い池をと考えている人にも良いだろう。

 

 

絶景の連続に大変満足した私もそろそろ帰路につかなければいけない時間だと気付いた、なにしろここからまた3時間かけて帰らなくてはいけないのである。そろそろ時間だと伝えると、まだいいところがあるから連れて行ってやると友人が言い出した。なんだこれ、デジャヴか、ひょっとして今度こそえっちな店だろうか。

 

言われるがままに車を走らせ数分後、今度は何もない山道で突然車を降りるように言われた。え、何だこれ、何が起きるんだ。あれか、人気が無い所に連れ込んでオマエ自身がえっちな店だよというオチか。警戒して身構える私を横目に、道路わきから藪に入っていった友人が早く来いと手招きしている。

 

そうはいくかドすけべ野郎と言うより早く、友人はどんどん森の奥に進んでいった。よく見ると雨の影響で足元がぬかるんで泥だらけになっているが、そんなの関係ねぇとばかりにはるか前方を進む友人、わんぱくが過ぎる。歩いてみるとわかったことだが、一応人通りはある道らしく、途中にあった祠のようなものもしっかり管理されていたので入ってはいけない場所では無いらしい。

 

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山の中の清流

ここがねぇいいところだよぉと言いながら友人は川に手をいれてバシャバシャしていた。なるほど確かにここもいいところだ、青い水のような特異性こそないものの、山を静かに流れる川のほとりというのも気持ちがいい。観光地として扱われていないのだろうか、私と友人の二人しかいないという環境も喧噪を忘れさせてくれる。

 

その成り立ちを考えると、偶然であったとしても“作られた名所”が青い池であり、“見やすく整備した自然の名所”が白ひげの滝であり、最後に見た清流はほぼ“自然のままの名所”であった。そして肩書なんてどうでもいい、全て良い場所だったと思う。

 

人は水に触れるとわくわくするのはなぜだろう、水と共に生きているという生命の根源のようなものなのだろうか。友人とは特に何かを話すでもなかったが、今回の旅で水の流れに触れ、文字通り心が洗われたような気がした。美瑛の青い池とその周辺は、わずかな距離で多様な水辺を楽しめる素晴らしい場所だ。

 

 

そして帰り時間がレンタカー屋の閉店時間ギリギリになってしまい、青い池よりも青い顔をして運転したのが私であり。ラジオからはさだまさしの曲が流れていた。

 

月曜日には船守さちこのスーパーランキングと福永俊介のアタックヤングがあった

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タイトルの意味がわかる人は現在30代前後で過去、あるいは現在も北海道に在住している人であろうか。

 

その昔、私の傍にはラジオがあった。熱心に聴くというほどではなかったし、はがきを送るようなことも無かった。ただなんとなく当たり前のように存在して、スピーカーからニュースや音楽が流れてくる。多少色気づいてきた年頃とはいえ、子供の私にとってのラジオはそういう存在だった。

 

船守さちこスーパーランキング』は1994年から1999年まで北海道のSTVラジオで放送された生放送の音楽番組であり、スパランの愛称で当時の中高生を中心に支持を得ていた。番組構成は音楽ヒットランキング&リクエスト+ネタコーナーという番組だったが、パーソナリティである船守さちこ氏と福永俊介氏の小気味よい掛け合いに惹かれたように記憶している。メイン進行とツッコミ役のさっちゃんに、ボケと印象的なコーナージングルを担当する福ちゃんといった二人の個性も際立っていた。

 

当時のエンタメ分野における音楽の強さは相当なものであり、CDは毎年100万枚セールスが連発され、小さな町にもそれなり以上にCDショップが存在した。小室ファミリー沖縄アクターズスクール、バンドブームといったムーブメントがテレビやラジオで連日取り上げられる等、意識せずともヒットソングが耳に入ってくる、J-POPが日常の風景であった時代。私もそれほど音楽に熱心というわけではなかったが、ヒットチャート上位は常に把握しており、レンタルCDショップのセール日にはまめに足を運んだものだった。

 

いつしかお年玉で買ったケンウッドのCDラジカセを、スパランが流れる1440kHzにチューニングする習慣がついた。

 

今回はそんなスパランの思い出をなんとなく綴っていきたい、情報ソースは私の思い出というひどくあやふやなものなので間違っているかもしれないが、ごく一部の人には刺さる内容だと思っている。ゴリゴリの下ネタが登場することもあって好きな人にはたまらない内容だとも思ってる。

 

ブリーフとトランクス

スパランは北海道ローカル放送ということとリクエスト票の割合が多かったからか、ランキングがやや特殊になることがあった。番組内で紹介された珍曲がランク入りしたり、いわゆるビジュアル系バンドの曲が異様に強かったりと、道内ではスパラン発生でブームを作っているようなふしもあった。

 

その一つがブリーフ&トランクスの『青のり』一大ブームである。『青のり』は「彼女の前歯に青のりが付いている」といった珍妙な内容の曲であり、決してマイナーソングではないものの、コアな人気という表現がしっくりくるというか、ともかくミリオンヒットが並ぶランキングトップの争いに加わる曲ではなかった。

 

しかしスパランでは人気絶頂の安室奈美恵GLAYと並んでブリーフ&トランクスが上位に入り込んできた。コミカルな曲調が番組リスナーにウケてリクエストが殺到したのである。今週の1位は何だという話題にのぼり、英語タイトルのカッコイイ曲が並ぶ中に突如放り込まれる青のり。北海道はどうかしてると思ったが、その数年後に『だんご三兄弟』が日本中で売れまくるので、どうかしてるのは日本全体だったことに気づいた。

 

やりたい放題DJと乾いたドラえもん

これは正式な番組コーナーではなかったように記憶しているが、たまにリスナーによる番組形式での曲紹介やトーク、いわゆるラジオDJごっこ的なものを収録したカセットテープが送られてきて、それ一部放送しつつパーソナリティの二人がイジったり応援したりすることがあった。

 

もっとも将来ラジオDJを目指す少年少女を微笑ましく応援するコーナーというよりかは、イジられてナンボというような雰囲気もありどんどんおふざけ方面にエスカレートしていったのだが、稀に出現する猛者にリスナーは色めきだった。

 

初期の頃はそれこそ真面目に曲紹介をしたり、音楽に合わせてトークをする投稿が続いていたのだが、次第に曲や効果音も自分で賄ってしまう「全部俺」スタイルが主流になる。そしてトーク内容も次第にイカレてくる傾向にあり、「河原でエロ本なんか探してないで、もう川自体を見つめながらオナニーできればキミも上級者だ、それでは曲いきましょう、美空ひばり川の流れのように」みたいな脳にバイキンでも入ってるんじゃないかという素晴らしい投稿が出現しはじめた。

 

そしてその流れの一つの頂点が「乾いたドラえもん」である。字面のみでは全く理解できないと思うので少し説明するが、「乾いた」の部分はL'Arc~en~Cielのヒット曲『HONEY』のサビ部分である。対して「ドラえもん」の部分は曲のフシをつけるわけでもなく、ただ簡潔にドラえもんと発する。これが脈絡なく曲紹介に挟まれてくると思ってほしい、「それでは聴いてください、HONEY──乾いたぁ!!ドラえもんっ……」という具合だ。意味が分からないと思うが大丈夫、説明してる方もわかっていない。

 

これがなぜか当時の私のツボに入り、部屋で痙攣するほど笑い転げた、意味不明過ぎて斬新だった。力強いサビの歌い出しから突然冷静になる落差、かっこいいバンドの曲から突然繰り出される藤子F謹製ロボット、乾燥した青タヌキというビジュアルイメージのシュールさ、いずれも私の記憶に強烈に残った。

放送の次の日に学校で数人に話したが、これに共感してくれたのはクラスの秀才ミヤモト君だけだった。私たちは固い握手を交わした。乾いたドラえもんで男たちは繋がったのだ、脳内ではドラえもんが「うぅふぅふぅ(cv大山のぶ代)」と笑っていた。

 

DJごっこはやりたい放題ぶりがエスカレートし過ぎた結果危険な領域に突入、乾いたドラえもんというワードの衝撃は今も忘れられないし、これは放送を聴いていた人の中でもさらに一部しか共感できないと思う。真面目に考えると聞き手をおいてきぼりにしている時点でラジオDJとしては致命的だとは思うが、 それ以上にHONEYを聴く度にドラえもんが浮かんでくる変なイメージを植え付けられたリスナーもある意味致命的であった。私が当時人気絶頂であったラルクにそれほどハマれなかった理由、それは乾いたドラえもんのせいかもしれない。

 

出たがり中学生と凍てついた番組

番組内でリスナーがカラオケ対決をするコーナーがあった。カラオケ機材もマイクも無い、携帯電話がそれほど普及していなかったこともあり、家庭の電話口で歌う参加者も多かったコーナーである。家族から見られたらわりと恥ずかしいのではと余計な心配をしてしまうが、チャンピオンになると大きなホールでライブができる特典があった。

 

コーナーは「出場者紹介」→「1コーラス歌唱」→「審査&勝敗決定」→「総評」という流れで進むのだが出場するのはシロウト中高生、緊張からうまく歌えなかったり、気合を入れ過ぎてスベってしまったりする出場者も微笑ましいものだった。

 

そんなある日、お調子者出場者がやらかした事態で番組は騒然となる。いつものように出場者紹介が進められ、さっちゃん福ちゃんが出場者に意気込みを聞いていた一幕。「福ちゃん、ちょっといいですか?」と出場者が時間を求めてきた。気合を入れたコメントでもするのだろうか、福ちゃんも「ん、なにー?」と調子を合わせながら次の言葉をうかがう、そして一瞬の間をおいてラジオのスピーカーから参加者の絶叫が流れる。

 

「お○んこー!!」

 

…………この空気、想像できるだろうか。誰も何も話さないし、当然笑ってもいない。ラジオを聴いていた私も「うわぁ……」と思わず声に出してしまった地獄絵図である。

そうしていると福ちゃんが重い口を開いた。やっていいことと悪い事がある、リスナーはキミの友達だけじゃないから聞きたくない言葉もある、出演に際して注意を受けたはずなのに何故守れなかったのか、という内容を大人の言葉で話し、件の彼はそのままフェードアウト。「えー、今彼はプロデューサーに怒られてます」となんとか笑い話にしようと努めるパーソナリティ二人にプロの仕事をみた気がした。これほど乾ききった空気をなんとかできるのは、それこそドラえもんだけかもしれない。

 

できないことを活かすこと

表現力という意味ではラジオは時代遅れのメディアと言ってもいい。取り扱えるのが音声のみであり、それも特別高音質というわけでもない。しかし表現力が限られているからこその手軽さもあり、ながら作業がしやすいラジオは今も昔も作業や勉強の友であると考えると興味深いものである。

 

カメラ収録や編集が存在する動画よりタイムリーな話題を出せる、どぎつい表現も音声のみだからマイルドにできるという強みもあるだろう。個人で動画も配信できるようになったこの時代、ラジオの放送にチューニングを合わせ、ハガキ職人やメール職人と呼ばれる熱心な投稿者が集う、これは一種異様な光景だ。

 

なんでもできる時代だからこそ、できないことを活かすという視点が必要なのかもしれない。装備が十分でないからやらないのではなく、少ない武器で戦う方法を考えてこそ、むしろそれを強みまで昇華してこそのクリエイターなのだ。

 

ただ気を付けて欲しい、間違っても「お○んこ」と叫んではいけないし、それを活かそうとしてもいけないということを。そして気にしないで欲しい、アタックヤングに一切触れていないことに。

 

 

 月曜日には船守さちこスーパーランキング福永俊介アタックヤングがあった   終わり

怪談を推理したら中二病っぽくなった

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私はあまり怪談を楽しめないタイプだ、子供のころからずっとそうだった。

ことわっておくが、決して怪談好きの人を馬鹿にしているわけではない、むしろ楽しみ方を教えていただきたいと思っている。

 

では楽しめないとは具体的にどういうことか、怖がりで楽しめないというわけではない、おそらく好奇心や探求心を優先してしまう私の性格、そして国語教育上が抱える問題なのではないかとにらんでいる。

 

 

お前だなんて言わないで

小学生時代、担任教師がこんな怪談を披露してくれたことがあった。

 

猫をいじめていた小坊主が隣村の寺におつかいに行く。そこの住職から悪いことをしていないか、弱い者いじめはしていないかと質問されるが、そんなことはしていないと嘘をつく小坊主。すると質問は白い猫を知らないか、面白半分に棒で猫を殴らなかったかと具体的な内容になっていく。そしてこの傷をつけた嘘つきの小坊主は知らないかと住職が額の傷を見せて言う、「ワシは知っている、それはお前だ!!」と。

なんと住職の正体はあの猫だった、それから小坊主は生き物を大切にするようになった。

 

話のオチ部分で担任が「お前だー!!」という声とともに指さしてきた、クラス中わぁと驚く見事なエンターテイメントだ。

 

しかし私は驚かなかった、なんのことだろう、指をさされたのは誰かなと振り返って後ろを確認した時に友達の中田君から「いや、お前だよ岡井」とツッコまれたほどだった、完全に噺家殺しである。時期的にも世紀末だし拳法殺しのハート様みたいにぶひひと笑えばよかっただろうか。

 

他にも小学生時代などはトイレの花子さんに代表される「学校であった怖い話」系の話題に触れる機会も多く、怪談イベントにも参加した記憶がある、しかし全く楽しめた記憶が無い。

 

慮る岡井少年

私はもともとリアクションが薄いタイプではあるが、それ以上に怪談内容が全く頭に入っていなかった、話の内容に疑問が生じてそこばかりが気になってしまうのだ。

 

先述の話でも、はじめに小坊主が隣村におつかいに行くというくだりからしておかしい、おつかいとは具体的になんの用事なのだろうか。目的地に着いても何か届け物を渡したり、伝言をするといった描写はみられない、いきなり猫住職の説教が始まる。なんだ、いったい小坊主は何をさせられているんだ、もしかしたら知らぬ間に大麻の運び屋とかをさせられているのではないだろうか、あれか、闇営業か、本当は恐ろしいグリム童話みたいな感じの恐ろしい闇の寺なのだろうか、小坊主を管理する寺の坊主が怪しいぞなどと気になってお前だどころではない。

 

話をスムーズにするため、あえて簡潔な話運びにしていると考えることもできる。しかし主人公である小坊主の旅立ち理由とはこの物語の大切な部分ではないだろうか。桃太郎であれば鬼退治、ドラクエであれば魔王討伐と姫の救助、はじめてのおつかいであってもお母さんのために牛乳を買うという明確な目的があり、そこから主人公の置かれる環境や人間関係なんかも想像させるものだ、本当になんなんだ「おつかい」って、隠語か、闇取引か。

 

私が週刊少年誌の編集だったら「後半に見せ場をつくろうとする意図は理解できるものの、主人公の旅立ち理由がいい加減で背景も見えず感情移入ができない、まずは基本となるキャラクター設定をしっかりと固めていただきたい」などと辛口のコメントを書いてしまいそうだ。

 

その他にも疑問は尽きない、猫住職はなぜ自分の寺を放り出して猫の姿でうろついていたのか、檀家はこのことを知っているのか、そもそも殴られる時に抵抗できなかったのか、意味もない暴力を振るう暴虐の権化たる小坊主がはたして素直におつかいに応じるものか、などと物語は疑問のバーゲンセール状態、話を聞いてる私もライバルに出し抜かれたベジータのような心情だ、くそったれ。

 

 

なんだ岡井って理屈っぽい野郎だな、素直に楽しめばいいのに、こんな面倒なヤツ絶対友達になりたくないぜと思ってしまった方もいるかもしれない。

どうか思い出してほしい、学生時代には国語の問題で『この時の作者の気持ちを述べよ』『この登場人物はなぜこうしたのか書きなさい』そうした問題が出てきたことを。この問題を解き続けた岡井少年は常に登場人物の気持ちや行動理由を考えるようになってしまった。

そう、純粋過ぎたゆえに、真剣に授業を受け続けたゆえに誕生してしまった哀しき国語モンスター、それが岡井少年だったのである。

 

なぜなに怖い話

怪談も様々なパターンがあるが超常現象過ぎて恐怖を感じられないものは多い、ここですこしまとめてみよう。

 

・◯◯で△△すると……系

トイレで花子さんを呼ぶと、何時にこっくりさんをすると、みたいなやつはそもそもなぜそんな行動をとるのか。興味本位、怖いもの見たさと説明されるがそれならば願ったりかなったりでむしろ嬉しいのではないだろうか。

 

「どうしても好奇心で花子さんに会いてェ!!」

「いたよ花子さんが!!」

「でかした!! ヒィ怖ェ!!」

 

でハッピーエンドだ、何も問題は無い。派生パターンとしてその手順を誤ると恐ろしい目に合う的な話もあるが、それはそもそもデーモンコア実験みたいなもの、世の中には失敗すると死ぬ仕事なんていくらでもある。

 

 

・出会ったら終わり系

ハァイ、ジョージィよろしく見たら死ぬ系の妖怪話は古来から存在しており、都市伝説系では口裂け女からくねくねまでといった系統。

 

あまり細かい描写はされないのだが、よくわからない化け物が不明瞭な因縁をつけてきてよくわからない攻撃方法で殺されるという説明放棄パターンがほぼ全てだ。細かいことは気にせずとにかく怖がれという怪談界をごういんなドリブルで走破する系統の話だ。うん、怪談とはそういうものなのか、考えるな感じろとあの世からブルース・リーが語りかけてきそうだ。

 

いつも思うがこういう話はどう考えて怖がればいいんだろう、この世には対処不能の即死攻撃を仕掛けてくる化け物がいるから気を付けろとでもいうのだろうか。

 

これじゃあ自動車がいきなり突撃してくるタイプの交通事故のようなものだ、理不尽ではあるが気をつけるにも限度がある。

 

 

・呪い感染パンデミック

リングにおける呪いのビデオに代表される分類、不幸の手紙とかゾンビパニック映画もここに分類される、怖いものがどんどん拡大するよ、次はあなたの番かもしれないよというヤツだ。

 

ただこれも根源的には出会ったら終わり系に近い、みてしまったら、触ってしまったらと条件はあるものの条件が整えば超常的な力で殺しに来るのだ。次に感染するのはあなたかもしれないという身近っぽい恐怖があるのかもしれないが、呪いのビデオだからみるなよなどと渡されては完全に前フリギャグでしかない、少なくとも私なら渡されたその場で視聴をはじめるに違いない、押すなよ押すなよと熱湯風呂にチャレンジするダチョウ倶楽部のそれである。

 

 

ここに分類されないパターンとして、夢の中や知らない街という不思議な空間に迷い込み、じわじわ身の危険を感じてもう危ないと思ったところで終わる話等が存在する。全体的に描写不足な物語が目立つが、気付いたら見知らぬ空間にいて不思議な体験をするというのは薬物乱用の幻覚症状ではないだろうか。

 

……いや待てよ、そうするとこれまでの怪談の行動原理に説明がつくかもしれない。そうか、そうだったんだ、小学校の時の話もこれならば納得できる。

 

謎はすべて解けた、私が推理した本当の話をお伝えしよう。

 

 

真説・猫住職

「小坊主よ、ちょっと“おつかい”に行ってくれないか」

 

秘密組織O-TERAのトップであるbozuから指令が下った。“おつかい”とは運び屋を意味する任務であり、幼いころから組織に育てられた構成員である俺にとって任務は黙って遂行するのみ、疑問を持つこともない。

 

O-TERAという組織は法を犯すこともいとわない何でも屋だ。そしてその下部構成員は小坊主と呼ばれ、一日の動きや食事内容まで徹底した管理のもとに置かれている。厳格な管理体制ゆえか、組織は裏切り者が全く出ていない鉄の集団と知られていた。

 

しかし任務を受けた俺はここ数日間誰かに監視されているような視線を感じていた。敵対組織のヤツらだろうか、いずれにせよこのままでは任務に行けない、先にケリをつけねば。監視者の正体を探るためにあえて人気のない森の中に入っていく。

 

相手の目的が監視ならば追ってきたところを逆に追い詰めてやる、もし殺し屋なら向こうから姿を現すかもな。そう考えながら歩を進めていると背後から視線を、そして気配を感じた。気配を感じた繁みに飛び込み対象を取り押さえる、その正体は意外なことに白い猫だった。

 

任務を前に気が高ぶっているようだ、こんな猫の視線を敵組織と勘違いするとはな。少々の安堵が生まれつつも小坊主は猫を手持ちの警棒で殴り飛ばした、無意味に痛めつける趣味は無いが、もし猫に懐かれでもしたらそこから足がつくかもしれない、組織の構成員としてそんなヘマをするわけにはいかない。

猫が繁みの中に走り去るのを確認すると、俺は明日に迫った“おつかい”に備えた。

 

任務はいたって順調だった、渡された風呂敷包みを指定された廃寺に、何のトラブルも無く指定の時間よりも早く到着してしまった。しかし妙だ、荷受人が待っていると聞いていたが周囲には誰もいない。指定された時間を過ぎても廃寺は不気味なほど静まり返っている。月も出ない闇夜、立ち尽くしていると生暖かい風が通り過ぎる。

 

気付くと本堂の隅、暗がりの中に住職の姿があった。いつの間に、この廃寺の住職だろうか、いや、取引相手であれば詮索無用、黙って風呂敷を渡せばいい。相手の出方をうかがっていると、住職はゆっくりと口を開いた。

 

「小坊主、自分の行動に疑問は無いか、闇の組織に身を置くことに疑問は無いか」

 

どうやら取引相手では無さそうだ、そして人生相談なら他所でやってくれ、そう思いながら俺は懐から礫を放った。怯んだ隙にこの住職を始末せんと接近するも、礫は住職の身体を手ごたえ無く通過し床に散らばった。

なんだ、妙な術を使うぞ。警戒していると、何事も無かったように住職が再び口を開いた。

 

「猫を殴る時に心が痛まなかったか、組織を抜けたいと思わなかったのか」

 

不思議な事にいつしか住職の姿があの時の白猫と重なってみえる、住職の言葉が響き、頭の中を駆け巡る、言葉を浴びせられる毎に鉛を乗せられたように四肢が自由を失う。

 

「本当は組織を抜けたい、こんな働きはもう御免だ、そう思っているんだろう」

 

やめろ、組織は裏切れない、組織は俺の全てなんだ、裏切ってはならない絶対的存在なんだ。ぐらついた拍子に手にした風呂敷包みを落としてしまい、空っぽの風呂敷が腐りかけの床板に広がる。

 

「それはお前の本心なのだ、お前はお前自身で考えねばならん、考えるのはお前だ!!」

 

頭が割れそうに痛い、もうやめてくれ。

 

――いや、自分で考える? そういえば俺は何故組織に忠誠を誓っているんだ、いつから組織が絶対だ考えるようになったんだ。そうだ、考えるの組織じゃない……

 

「「お前だ!!」」

 

 

 

 

 

O-TERAの地下室に小坊主の死体が運ばれてきた、担当の構成員達は淡々と処理を進めながら会話する。

 

「この小坊主は……ああ、危険兆候が出ていた個体か」

「洗脳が解けそうな個体に遅効性の薬品を投与して秘密裏に始末する」

「いつもの食事に混ぜられているとも知らずにな」

「今回もうまい具合に幻覚・幻聴にかかってくれたみたいだな」

「裏切り者は事前に始末する、これが我らO-TERAが鉄の組織である所以さ」

 

 

 

小坊主が最後にたどり着いた「自分で考える」という思考、それは薬品の影響からか、それとも……

 

 

 

 

たどり着いた真実

いつしか推理というより妄想になっている気がする、しかも中二っぽいやつ、何だO-TERAって、組織大好きか。

しかし怪談の持つおどろおどろしいイメージとは多少異なるものの、自分の知らないところで陰謀が渦巻き、思考を操作されているという恐怖は怪談テイストとは言えないだろうか。

そう、これを読んでいるあなたも、誰かに思考を操作されているかもしれませんよ……。

 

いやでも長すぎるなこれ、やっぱり子供に話すなら最初のやつにしよう。

 

 

 

怪談を推理したら中二病っぽくなった   終

岡山ブラジャー祭り

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世界には奇祭と呼ばれる行事がいくつもある。

 

例えばトマトをぶつけ合うことで有名なスペインの『トマティーナ』や、チーズを転がして追いかけるイングランドの『チーズ転がし祭り』。他にも派手な仮装をしたり、やたら炎を燃やしたり、よくわからない御神体を祀ったりするものは少なくない。

そこには歴史や文化があり、一見珍妙に見える祭りもそこに込められた願いや成り立ちは至極真面目なものばかりだ。

 

だから大切にして欲しい、視野を広く持って欲しい、想像力をはたらかせて欲しい、そう、私のように。

 

 

 

 ブラジャーコールアンドレスポンス

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その日は出張先である岡山県のホテルで朝を迎えた。取引先の部長に付き合い朝まで飲まされたので、せっかくの休日も移動日となってしまった。

 

レイトチェックアウトのプランにしたことを思い出し、少しゆっくりするかとカーテンを開けてベッドに腰を掛ける、今日もいい天気だ。

 

コーヒーでも飲もうかと思ったその時、奇妙な声が聞こえてきた。

 

「ブラジャーッ!! ブラジャーッ!!」

 

……昨夜の酒が残っているらしい、ずいぶんと飲んでしまったからな、まったくどうかしている。

 

「ブラジャーッ!! ブラジャーッ!!」

 

……どうやら幻聴ではないようだ、成人男性が威勢良く叫ぶ声が響いている。だがあまりにはっきりと聞こえるがゆえに説明がつかない、何だこれは、女性用下着の普通名詞をこれほど景気よく連呼する人物は野原しんのすけ氏以外に知らない。

 

おかしいのはこの世界か、それとも私の頭なのかを確かめようと窓から外に視線を落とすと、音の出どころはあっさりと見つかった。そこにあったのは、神輿のようなものに乗った男がマイク片手にブラジャーと連呼している姿、いったい何が彼をそこまで追い詰めたのか。

 

ああそうか、季節は8月の熱いさなか、そういうおじさんが出てくることもあるか。

 

そう思い全てを解決してしまおうと考えた私だが、おじさんの周囲でとり憑かれたように群舞する集団が目に入る。さすがにブラジャー丸出しの姿ではないものの、彼らも踊りながらおじさんに合わせて「ブラジャッ!!」と叫ぶブラジャーコールアンドレスポンス状態、何だこれは、新しい宗教だろうか。

 

一瞬にしてブラジャーを御神体として崇拝するブラジャー教の人々の図が頭の中で完成する。

 

教団の人々は当然男性も含め全員がブラジャー着用だ。そしてそれぞれのフォルムや刺繍が美しいなどと愛でたりするのだろう、もしかしたら快適性やファッション性を求めて新モデルの開発なんかもしてしまうかもしれない。

 

いや、それはむしろ下着メーカーの仕事では無いだろうか。

まてよ、大手下着メーカーの営業は男性社員でもカバンの中にブラジャーを携行しているという話も聞いたことがある、ある意味ブラジャー教と言っても良いのではないだろうか。

いやいや、メーカー営業のそれは布教ではなく仕事だ、嫌いではないかもしれないが崇拝しているかと言われると違うだろう。

 

でも長年共に時間を過ごしていると愛着が湧いても不思議ではない。今までなんとも思っていなかったはずのアイツが気になって仕方がない、アタイやっと自分の気持ちに気付いたんじゃいという少女漫画的なアレがおっぱじまるかもしれないし、思い切って告白しちゃえと自分の中の天使が言えば、フラれる危険があるぜと悪魔が囁くかもしれない。揺れ動く乙女心だ、相手はブラジャーだけど。

そして天使のブラがあるなら悪魔のブラもあって良いかもしれない、何か尖ったデザインで悪の女幹部とかが着用してるヤツみたいな……何を言っているんだ私は。

 

もはや思考回路はショート寸前、完全にブラジャーに支配され、おそらく人生で最もブラジャーについて考えているオッサンが岡山のビジネスホテルで爆誕していた。変態である。

  

 

 

大きな桃がどんぶらこ

食い入るように見つめていると、道路沿いにものぼりや装飾があしらわれており、通行人も楽しそうに踊りを見物していることに気が付いた。

 

この感じ、これはひょっとして祭りではないだろうか。

きっとそうだ、いくら信仰の自由があるとはいえ、ブラジャーと連呼しながら練り歩く集団がいれば普通は周囲も眉をひそめるだろうし、公道で派手に活動すれば警察がとんできそうなもの。それが無く街全体がイベントムードということはこれは祭りに違いない、県民に愛される祭事なのだろう。

すごいな岡山県は、いろいろ先を行き過ぎではないだろうか。

 

しかしなぜこの岡山の地でブラジャーがと考えた私だが、すぐにピンと来た。

 

そうか、『ピーチ・ジョン』だ。

 

www.peachjohn.co.jp

 

男性諸君は馴染みが無いかもしれないが、ピーチ・ジョンとは日本の女性向け下着通信販売会社である。その社名の由来は日本の桃太郎、ピーチ(桃)とポピュラーな男子の名前であるジョン(太郎)を組み合わせたものだと聞いたことがある。そしてここは桃太郎ゆかりの地として知られる岡山県、つまりこういうことだ。

 

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点と点が線として繋がった、私が少年探偵ならば事件解決だとキメ台詞の一つくらい放ってもおかしくない。

 

なお、なぜオッサンである私が女性向け下着通信販売会社の由来まで知っていたかという点に関してだが、決して女性用下着に強い関心を持っているわけではなく、日本経済を考えるうえで成長企業の情報を把握することは当然のたしなみであるからだ。

よこしまな気持ちなどあるわけが無いし、以前ピーチ・ジョンについてスマホで画像検索していたら、隣に座っていたOLが小走りに別の席に移ったのも単なる偶然に違いない。

  

チェックアウトの手続きをしながらフロントの女性スタッフに聞いてみると、今日明日の二日にわたり大きな祭りが開催されるということを教えてくれた。

今日から二日ということはこの群舞もプログラムの序盤なのだ、ということは夜になれば祭りも真の姿をみせてくれるのだろうか。

 

 

 

午前0時のラブライブ

遠く見える月、松明に照らされたやぐら、このメインイベントを毎年楽しみにしているオーディエンスの熱狂は深夜を迎えても落ち着くどころか勢いを増すばかり。

太鼓の音がどんと響くと、数名の男女がやぐらの前に歩み出る、昼間とは違いいずれも上半身はブラジャーのみを着用したクラシックスタイル。彼らは選ばれしミス&ミスターブラジャー、これが本来の姿であり、本当の祭りの始まりだ。

 

「いいぞ、フロントホックのアケミ!!」

「おっ、ダブルストラップ健は今年も仕上げてきたな」

「スポーティ増田はやはりスポブラで参戦か」

 

オーディエンスは新たなブラが登場する度にざわめき、憧れにも似た気持ちで見守る。やぐら上で仁王立ちするブラジャーマスターの掛け声に合わせ、思い思いのポーズを決めながら練り歩く。ここは岡山ブラジャー祭り、下着への感謝を神に伝える神聖な儀式だ。

 

うん、推測の域を出てはいないが、祭りの全容がみえた気がした。

 

 

 

帰りの電車まではまだ時間がある、もっと間近で祭りを体感するべく私は外に出た。 

 

「ブラジャーッ!! ブラジャーッ!!」

 

いささかの衰えもみせずに繰り返されるブラジャーコールアンドレスポンス、いざ目の当たりにするとかなりの迫力だ。ここまでくると私も女性用下着が神聖なものに思えてくるから不思議だ、一つくらい購入して神棚に飾ってみようか。

 

近所のアモスタイルに単騎突入したらどうだろうお、贈り物ですか……?」と引き気味に言う店員に向かって「いえ、自分用です!!」と男らしく言ってみようか。

いやダメだ、自分のような若輩者にはまだハードルが高い、ちょっと試着いいですかとでも言おうものなら店員も困惑するばかりであろう、他人に迷惑をかけてはいけない。

 

 

 

ブラックジョークは言わないで

そうだ、いくら祭りとはいえ下着はなかなかセンシティブなジャンル、思春期の女の子などはそう簡単に受け入れられるとは思えない。明日はパパが神輿に乗ってブラジャーコールしちゃうぞなどと言われれば、「しんじゃえ変態オヤジ」くらい言って家出してもおかしくないだろう。

 

 

待ってくれミカ、これは決していやらしい気持ちではない、伝統と感謝の行事なんだと説明してもミカは聞く耳を持たない、マッチングアプリとかそういうのを使って悪い仲間と一緒にビッグスクーターで夜の街を暴走、こんなものがあるからいけないんだと片っ端からランジェリーショップを襲撃してしまうかもしれない。

 

憎きブラジャーに金属バットを振り下ろさんとするミカ。

 

その時、闇に紛れて接近した腕がミカのバットを止めた。

 

「やれやれ間に合ったね、あんたアタシの若い頃にそっくりだ」

 

フロントホックのアケミだ。

 

「下着とは憎むものでも破壊するものでもない、我々をやさしく包み、守ってくれるものなんだ」

 

柱の陰から現れたダブルストラップ健もそれに続く。

 

なんだこいつら、邪魔するヤツらはやっちまえとマッチングアプリとかで集った悪い仲間が襲いかかるが、割って入ったスポーティ増田が蹴散らして言う。

 

「動きが悪いな、自分に合った下着を着用しないからだ」

 

半裸の男女が泣き崩れるミカにやさしく手を差し伸べる、構図的にはけっこうアレだが、犯罪を、そして非行を未然に防いだヒーロー達はこう言った。

 

「はじめは戸惑うかもしれない、しかし自分の成長に合った下着を着用するのは大切なことだ、君のすこやかな成長を願うお父さんの気持ちをわかってほしい」

 

下着界のアベンジャーズに諭された彼女にもう迷いはない、祭りの当日、そこには父のブラジャーコールに元気よく応えるミカの姿が。

 

 

実に感動的だ、そしてこの祭りに込められた願いや意義ようなものまで見えてきた。

 

 

 

肩を貸してよブラザー

 

一時のこととはいえ、懸命に踊る人々を暑さで脳にバイ菌が入ってしまった集団だと思ってしまった自分を恥じた。私は何を考えていたんだろう、彼らの曇りなき眼と渾身の踊りのどこによこしまな要素があるというのだ、いやらしい視線でみていたのは私の方だったのだ。

 

子供のように素直に楽しめばいい、余計なものは何もいらない、生まれたままの心と体で、body & soulで太陽を浴びればいいじゃないか。

 

みんな半裸で踊ろうじゃないか、ビバ下着!! 有名なリオのサンバカーニバルだって露出的にはもっと過激だし問題は無い。さぁ、レッツブラジャー!!

 

着ていたシャツを脱ぎ捨てようとしたまさにその時、目に入ってきた横断幕には衝撃的な文字が躍っていた。

 

 

 

 

 

 

 

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……うらじゃ?

 

え、何これ、ブラジャーじゃなくて? うらじゃってなに?

 

うらじゃとは、岡山県岡山市にて行われている夏祭り、および同祭で行われる音頭、それに使用される楽曲である。岡山県に古くから伝わる鬼神「温羅(うら)」の伝説を元にしたものであり、名称もそれに由来する。(Wikipedia『うらじゃ』より)

 

 

 

 

 

ウィキペディアを表示したスマホを持つ手が震える、こんな悲劇があっていいのだろうか。

 

うらじゃをブラジャーと勘違いしていたとは、それだけにとどまらず一人で納得したり関心したり恥じたりしてしまったとは。もはや先ほど勘違いで勝手に恥じた自分も恥ずかしい、これが本当の恥の上塗りだ、かましいわ。

 

私は哀しきひとり上手だった。 

 

 

 

やさしさとオブラートに包まれたなら 

 

 

 

しばらくぼうっと踊りを眺めていた。

 

 

なんだろう、この気持ちは。その躍動感、生命力あふれる表情、人間とはこんなに美しいものだったのか。落ち込んでいた私だが、いつしか目の前で繰り広げられるうらじゃに魅了されていた。

 

そうだ、今まで知らなかったのならこれから知ればいい、人は学び、成長できるのだ。 少しボタンの掛け違いをしただけだ、純粋な気持ちで楽しみたいと思った気持ちは嘘じゃない、そこにブラジャーがあるか無いか、そんなことは些末な問題だ。

 

思えば岡山は素晴らしいところではないか、倉敷美観地区鶴山公園の素晴らしい景観、瀬戸内に育まれた海の幸に色とりどりのフルーツ、そして出会う人々もみな良い人ばかりでやたらお土産をくれる。

昨日なんてキャバクラの呼び込みをしていたお兄ちゃんまで桃太郎のボールペンをくれた、グリップ部に取り付けられた桃太郎の装飾が邪魔でとんでもなく書きづらいけど、とにかく良くしてくれた。

 

 

 

私はノーブラで駆け出し、祭りの輪に加わった。

 

いや、男だからもともとノーブラだけど。

 

……うん、胸のつかえがとれたみたいな意味の比喩でノーブラって使ったけれど完全に失敗した。でもきっと大丈夫、岡山の人達はみんないい人ばかりだから許してくれるさ。

 

 

 

そんな岡山県民熱狂イベント「うらじゃ」は今年も8月に開催予定!!

ここまで読んで関心を持っていただいたみなさんも、これを機に是非一度岡山をおとずれてみてはいかがだろうか 。

uraja.jp

 

よかれと思ってうらじゃ公式サイトのリンクを貼ってみたが、よく考えたらこんな内容ブログからのリンクではむしろ怒られるのではないかとまことに心配である。

でもきっと大丈夫、岡山の人達はみんないい人ばかりだから、いい人ばかりだから。

 

 

 

岡山ブラジャー祭り   終

この映画が観たい!!2019

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みなさん映画はお好きだろうか。

映画離れが進んでいるとされる昨今、映画チケットの値上がりが話題になった。そこでは様々な意見が飛び交っていたが、娯楽が多様化する世の中において、未だそれだけ映画というエンターテイメントに関心があると考えることもできる。

 

私も聞かれると映画は好きだと答える。しかし監督や俳優について全然詳しくないし、映画史的な背景にもあまり関心が無く、ただそれを鑑賞して面白いかどうかという単純な楽しみで満足している。

 

そんな映画クソ素人である私が観たい映画のあらすじを考えたので紹介したい、漫画作品の実写化ばかりが目立つと嘆く映画ファンの方々も必見のオリジナル作品が目白押しである。題して『岡井はこの映画が観たい!!2019』、その映画を脳内視聴した岡井の感想コメントも掲載しておくので参考にして欲しい。

 

岡井はこの映画が観たい!!2019

 

 

ドランクヴィレッジ -村人拳法ドンジャラホイ-

 先の大戦で文明が荒廃してしまった世界、貧しくもたくましく生きていた山奥の村に、ならず者の集団が向かっているとの知らせが入る。略奪されてなるものかと自衛を考える村人達だったが、使えそうな武器も設備も無く途方に暮れる。その時村の長老が取り出したのは、古くから伝わるビデオテープという資料に記録された武術『スイケン』であった。言葉の解読はできなかったが見様見真似でスイケンの習得を試みる村人たち、口に入れている液体は何なのか? 瓶や皿を持つ特訓の意味は? さまざまな疑問が未消化のまま、独自解釈を受けたスイケンが今炸裂する!!

 

カンフー映画の金字塔であるジャッキー・チェンの『酔拳』を下地として発展させた映画。やはり見どころはそのアクションシーンの数々、主人公のトムは王道の酔拳アクションを魅せてくれるが、それ以上に母親のジエムが椅子を手にした瞬間覚醒してキレッキレの拳法を繰り出すシーンは必見。終盤意味ありげに出てきた達人っぽい爺さんは酒を飲むと逆に弱くなってしまう設定もいい、「今日は車で来てるからお酒はダメでしょ」と自動車も無い村で注意をするガバガバ設定はどうかと思うが。(岡井)

 

 

地獄寿司平常営業

寿司が好きという気持ちのみで寿司屋を開業した男、石山。好きというだけで腕は平凡だったため、どうせ客など来ないだろうと田舎町の居抜き店舗で気楽に営業していたが、有名グルメブロガーが紹介した途端に行列ができる人気店になってしまう。はじめはすぐに飽きられると考えていた石山だったが、「王道の味」「飾らない大将の魅力」などと評価は上がる一方、ついには寿司協会理事推薦の話も持ち上がる始末。ただ寿司に囲まれて静かに暮らしたかったのに、目まぐるしい忙しさに嫌気がさした石山はついに決意する、ダメな店にして客を減らしてやると……。

 

寿司屋を舞台にしたコメディ映画。周囲の過大評価が止まらず苦悩する主人公というのはよくあるプロットではあるが、そこから石山が自分の評価を落とすために奮闘する姿や、根底にある寿司が好きという気持ちのせめぎあいが面白い。特に自らのアンチと化した石山とファンによるレスバトルが続くシーンを高速回転寿司として描写するシーンはこの映画ならでは、タコの握りがカーブを曲がりきれないからとダイレクトに口でキャッチする場面の意味不明な迫力は笑わずにはいられない。(岡井)

 

 

俳聖!! イカリーマン

文具会社の係長であるイカ男、魚介類が人間社会に進出を果たしてからもう15年となったが、彼は未だに人間との生活に壁を感じていた。嫌な上司、困った部下との板挟みとなりながらの出世争い、よそよそしさの抜けないご近所付き合い、妻のナルミに苦労はかけまいと歯を食いしばってきたが、ふと振り返る自分という異端の存在。そんなある日、同僚の鮫島が放った「人間社会スミを吐くやつはいないけど、たまに毒は吐くんだぜ」という言葉、そうだ、どこかで気持ちを表現してみよう、サラリーマン川柳の応募ページを見ながらイカ男は自らの青い血がふつふつと沸き立つのを感じていた。

 

イカがスーツを着ているメインビジュアルとイカリ―マンというタイトル、コメディなのかと思って観賞すると終始漂う重厚なムードに驚くだろう。イカ男が向き合う様々な苦悩は、現在社会が解決に取り組んできたとされるいじめや差別問題の縮図に他ならない。それでも暗くなり過ぎないのはイカ男の明るいキャラクターと、サラリーマン川柳との出会いをきっかけに自分を客観視する等、話の構成が良い味付けになっているからだと思われる。自嘲気味に筆をとるイカリ―マンに共感できるお父さん達も多いのでは。(岡井)

 

 

この映画が観たい人生だった

 

以上、岡井が観たい映画3作を紹介しました。アクション、コメディ、ヒューマンドラマと様々な顔ぶれが揃う素晴らしいラインナップ。まだ2019年は9カ月程残っているので、これはと思う映画プロデューサーや映画監督からのご連絡お待ちしております、私自身が観たいので全面協力します。

そしてTOHOシネマズの人はポップコーンのフレーバーもっと増やしてほしい、イカの塩辛味とか変なフレーバーが出ても私は買うから。あとカップルで来るのはかまわないが、上映中におしゃべりするやつらはポップコーンがセミの幼虫に変わる呪いとかにかかればいいと思う。

 

 

 

この映画が観たい!!2019   終